毛botとの出会い

この記事は毛 Advent Calendar 2014 - Adventarの最終日ぐらいに書こうと思ってた記事です。

動機

今年6月ごろからかすかたんがkasumikobotとかいう下らない機能満載のbotを作っていた。彼の影響もあって暇な夏休みに「毛」の含まれるpostに「毛」と返すだけのもっと下らないbotを作ってやろうと思い立った。

開発

twitterbotについて調べてみたところ大多数がrubyで書かれてそうなのと、kasumikobotがrubyで作られていたのとでrubyを使うことにした。

情報学科ではコース配属された学生へのMBAの貸し出しが今年から始まり、俺も自分のノートPCが持ち運べない状態になってしまったので借りたがあまり使っていなかった。ここでそのMBAが大活躍。環境導入も一瞬でストレスなく作業できた。

rubyという言語を初めて使ったがこれも楽に書ける。今までC言語で苦戦してた配列や文字列の処理で特に実感した。こんなことがしたい、と思ったらだいたいそれを実現するメソッドがあってこんなに楽でいいのかと不安になるくらいだった。

ちなみにこのbot、ローカルで動かしているため俺がMBAの電源を切ってる間は停止している。raspberry Piを買うなりheroku使うなりで常時稼働させようかと思ったが、面倒臭そうだったのと常時稼働させたところでどうせすぐ規制されるのだからあんまり意味なさそうというのでローカルのままにしてある。

反響

「n時の毛」「毛」「sonohennniiruガチャ」ぐらいしか機能がなかった初期の頃は物好きな身内からのフォローされ、あのbotは一体何なのかとよく聞かれた。自分が思い描いていた機能は全て完成していたのだが、「もっと機能増やす」などと口走ってしまい、まあ夏休み暇だし作って楽しいしもっと作るか、とミニゲームを実装し始めた。

ポーカーやヌメロンを実装してからというもののフォロワー数が急激に増えた。物好きな身内+αぐらいで細々とやる予定だったのだが俺の知らない人の方が多いぐらいになってしまった。フォロワー数の増加に伴いpost数も増え、投稿規制にかかることも多くなり対応に窮した。

いつしか「毛」を返すbotではなく、ミニゲームで「毛ポイント」を増やし「毛ランク」の順位で争うbotへと変化した。

アカウントごとにミニゲームの制限をかけたのだが、それを潜り抜けるように「毛用アカウント」が幾つも出現した。上位毛ランカーたちが遊んでくれるのは嬉しいが、こんなbotに熱中するぐらいならもっと他のことに時間を活用してほしい。

感想

なんとなく始めたbot開発だが、楽しいの一言に尽きる。プログラミングがここまで楽しいと思ったのは小学生の頃HSPでゲームを作ろうとしてた頃以来かもしれない。

芸術や創作において、自分の表現したものに対して他の人が感想を述べてくれたり、何らかのフィードバックを得ることにも大きな楽しみがあると思うんだけど、twitterbotの開発ではそれが簡単に得られる。

昔作っていたゲームだと、webページに作品を公開して、ユーザーがページを発見してゲームをダウンロードして起動して遊んで、その中でも一握りの人だけが感想を送ってくれてようやく自分の作品に対する反応がわかる、そんな状態だった。(そもそも普通の子供の作ったゲームをわざわざダウンロードしようなんて人がほぼいなかった。)

それがbotでは、俺が起動したら一瞬でtwitterのアカウントに反映され、ユーザーは普段通りpostするだけで遊ぶことができる。手軽さゆえに反応の数も増えるし、わざわざ感想を書いてくれなくてもやり取りは全てtwitter上で行われるため誰がどのように遊んでるかが把握できる。人が自分の作ったもので楽しんでいるとわかるのはやはり嬉しいものだ。そういった欲求を簡単に満たすことができると感じた。

今後

1月後半にMBAを学科へ返却しなければならない。windowsで同じことをやるのが面倒臭そうだし俺も一通り満足したので特に強い要望がなければ毛botを終了させようと思う。

毛との出会い

この記事は毛 Advent Calendar 2014 - Adventarの最終日ぐらいに書こうと思ってた記事です。

これまで毛にまつわる様々な出会いを体験した。思い出せる範囲でここに書き綴ろうと思う。だいたい時系列順で記す。

中井喜一との出会い

彼を最初に見たのは俺がtwitterに登録し始めてすぐの頃だった。twilogによると俺がtwitterを始めたのは2009/09/30らしいからもう5年以上前の話になる。

twitterなどというSNSができるより遥か昔からネット上で絡んでた友人のアカウントを眺めていて中井喜一(当時はmoccaiとかもかもかとか名乗ってたか)を偶然見つけた。

彼のアカウントを見て、俺は驚きというか畏怖の念を抱いていた。端的に言うなら「同年代でこんな凄い奴がいるのか」という感情だった。

中学生時代、俺はとあるネット掲示板に入り浸っていた。俺の関わっていた中では最も「頭の良さそうな」コミュニティであり、自分たちは同年代の最先端を行っているんじゃないか、などという驕りが確かにあった。喜一とその界隈を発見してそんな狭い世界での幼い思い上がりは崩れ去った。

俺は自我を保つため、彼を見なかったことにした。

それから一年ほどが経った頃。高校二年生のとき、東大京大など難関大学を目指す「受験生クラスタ」の一員になっていた。(余談だが、この存在なしでは今の自分はなかったと思っている。)その中でも最も仲の良かった@ok_namoとの繋がりで、俺は中井喜一にフォローされてしまった。

彼が俺をフォローして最初につぶやいたpostが「Feruというこんなおもしろそうな奴がいたとは!」だったことも、それを見てひどく嬉しかったことも覚えている。その後、俺たちは急速に距離を縮めた。

中井喜一の実物と初めて会ったのはさらに二年後の話。2012年8月終わりか9月初めかだった。中井喜一、チャゲ、俺の3人でカラオケに行く約束をしており、レインボー河原町店の前で待ち合わせた。初めての会話はこのようなものだった。

中井喜一「ふぇるくん初めまして。中井喜一です。」
チャゲ「初めまして。中井喜一です。」
俺「奇遇ですね。僕も中井喜一です。」
チャゲ「皆さん中井喜一なんですね!」

なんじゃら(sonohennniiru)との出会い

彼との出会いは大学受験がきっかけだった。先ほど述べた「受験生クラスタ」の繋がりでフォローをした。正直なところ、数ある受験生のうちの一人、という認識であったため初めての印象がどういうものであったかは全く覚えていない。そのうち同じ京大工学部を受けることを知った。

リアルで会ったのは京大入試二日目の試験終了後。理科のあまりの出来なさに浪人を確信していたときだった。

「受験生クラスタ」は関東在住が多いが京大受験生は数多くおり、一目お会いできればと思っていた。向こうも同じ気持ちだったのであろう、オフ会の誘いを持ちかけられた。

なんじゃら、俺、ぐらふくん、だて、一級河川くんの5人が集まった。地デジカの格好をさせられた折田先生像を囲んで試験の手応えなんかを話し合っていた。どう見てもインドア派にしか見えない5人組なのにアメフト部に勧誘されてたじろいだのも良い思い出だ。

サークル勧誘の人間に「お前らもう帰れよw」と言われるぐらいまで話していた。どういう流れだったかは忘れたが吉田寮を見学に行くことになった。なんじゃらたちは吉田寮の鍋に参加すると言い張ってオンボロ寮に消えた。俺と一級河川くんは怖かったのでそのまま京阪で帰った。

結果、集まった5人のうち俺一人だけが受かった。なんじゃらは俺より点数高かったのに落ちた。(参考:2012年度工学部地球工学科と情報学科の合格最低点)

入試から半年近く経った2012年9月、俺は千葉で浪人生活を送るなんじゃらの元へ行った。QVCマリンフィールドで行われた水樹奈々LIVE UNION千葉公演へ参加した次の日(だったかな)になんじゃら、一級河川くん、だてと会った。4人で千葉駅近くのココイチに入った。何話したかはよく覚えてない。

その後もなんだかんだで定期的に会っている。

うしうしとの出会い

彼とは大学入学後に友達の友達という形で出会った。受験生時代から交流のあったチャゲたちと高校が同じであり、その繋がりで知り合った。

まあお互いよく話すタイプでもなく、友達の友達というのは一般的に気まずいものだろう、彼やチャゲを交えたグループで行動することはあってもあんまり会話しなかった。

初めてまともに口を利いたのは大学の健康診断後だった。某サークルの新歓にそのグループで参加した。説明会が終了して先に俺たち二人が外に出た。そこで「おもろそうではあったけどなあ…」と覇気のない声で話しかけられた。

俺は俺で「初めて大学で俺よりクズそうな人見つけた!」と喜んで色々話したと思う。

その後彼はtwitterを始め、香ばしかったのがいつの間にかネタツイッタラーとして大成してしまった。

いつ見ても暇そうにしてるので人と会うときついでに誘ってりしてた。会話が途絶えて「俺らも普段あんま話さんもんな…」などとすぐマイナスのことばかり言うので最近はあまり呼ばなくなった。

かすかたんとの出会い

一旦なんじゃらの話に戻る。2013年春、結局一浪して筑波大学に入学し新たな生活をスタートするなんじゃら。彼のこんなpostが目につくようになった。

「隣にふぇるくんに似た人が座った」
「またふぇるくんに似た人が居るww」
「英語の授業で一緒になるふぇるくんに似た人、今度の王国ライブ行くらしい」

などといった具合に、「俺に似た人」が随所に登場するようになった。この時点で俺は単なるクラスメイトだろうと全く気にかけていなかった。

それから半年以上経過した冬。突然「ゆかりんのライブ行こうぜ」となんじゃらから誘われた。チケットはあるのかと聞くと「かすかたん」が持っていると言われた。気になって尋ねたところ、やはり「俺に似た人」と「かすかたん」は同一人物だった。

そのへんの話はこちらも参照


なんじゃら(旧sonohennniiru)との出会い - かすみこめも

即刻かすかたんをフォローし、顔が似ているという理由でリプを飛ばし合い急速に仲良くなった。

2014年2月、さいたま新都心イトーヨーカドーで初対面を果たした。

あんまり顔似てなかった。

毛の結成

この記事は毛 Advent Calendar 2014 - Adventarにおける一日目の記事です。

全てはこの一言から始まった…。

LINEに関して言及したpostである。

 

数分後。

 

毛 

Since 2013.09.08

3/28-4/3 関東に行ってきた

自分のtwilogを見ながら旅を簡単に振り返る。

3/28 大阪~埼玉

青春18きっぷでひとり大阪から埼玉へ。朝9時前に天王寺駅を出て電車で寝ながら東へ東へと進む。14時に浜松駅に着いて何か食べる場所を探したら餃子ファミリーレストランが手頃な値段で見つかった。

 

これでなんと700円である。美味しかった。降りたついでに浜松駅周辺をぶらぶら。アクトシティとかいう巨大な複合施設があった。楽器博物館なるものがあったので立ち寄った。小学生から「このピアノ1000万するんだって!」という講義を受けた。夜に中井喜一(@moccax)の家こと喜一旅館に到着。寝る。

3/29 池袋~日本武道館

ゆっくり寝て昼に池袋へ。すずかにゃん(@__dingdongbell)と合流して池袋の駅ビルでパエリアを食べた。90分ほどカラオケに行って解散。一人で池袋をぶらぶらする。立教大学のキャンパスに行った。あまり奥には入ってないがおしゃれな建物だった。日本武道館のある九段下駅へ移動。

この旅行のメインイベントである田村ゆかりのライブまで時間があったので周辺の公園を散策。桜が綺麗に咲いていた。明らかにライブには行かなさそうな観光客の方が多くて少し驚いた。開演時間過ぎ、俺と連番するかすかたん(@Kasu_miko)と合流。よいち氏(@yoiti1185)も一緒だった。チケットを受け取る。アリーナBだったのが入場すると予想以上にステージが近くて二人して焦り出す。ライブ中にふと横を見るとかすかたんが眼鏡外して泣いてた。ライブはとても楽しかった。九段下駅で別れてすき家で牛丼を食べて喜一旅館に帰る。寝る。

3/30 新宿~日本武道館

夕方のライブまでは予定がなく、新宿あたりで適当にご飯食べようかと思っていたらタイムラインでにりょ(@sinclair_shi)が新宿でうどんを食べたいと言っていたので同行させてもらうことに。新宿駅がややこしくて大幅に遅刻した。東京麺通団で肉うどんを食べる。麺のコシが強すぎる印象だった。うまかった。風雨が強かったので時間までマクドナルドで休憩。しばらく話して解散し俺は日本武道館へ。

九段下駅でかすかたんと待ち合わせてチケットの取引に付き合う。2階席で昨日と比べるとだいぶ距離は離れたが、日本武道館という会場が広くないせいでそこまで遠くは感じない。ライブは素晴らしかった。忘れないうちにイベンターノートかどこかに感想を書きたい。

終演後、近くの席で偶然発見した小指さん(@suwakoishi)に声をかける。隣にへもあさん(@hemoaaaaaaa)もいた。二人とも絶賛していて自分も気分が良かった。少し挨拶したあと会場の外でかすかたん、竹尾さん(@stylish_kuzu)、二人のサークルの先輩と思しき人と合流した。秋葉原へ行って中華料理屋でチャーハンを食べた。三人ともさすがはガチ勢という感じであった。秋葉原の駅で解散。喜一旅館へ帰る。

明日は一日暇だがどうしよう、と考えていたところなじゃ(@sonohennniiru)からつくばへ来いとの誘いを受けた。寝る。

3/31 つくば

喜一旅館からJRとつくばエクスプレスを乗り継いで昼につくば駅に到着。ゆーさくくん(@antefest)と駅前のフードコートでご飯を食べて筑波大学を案内してもらった。南から北まで徒歩一時間ほどかかってとにかく広いキャンパスだった。

のどかで落ち着いた場所だった。引っ越し作業中のかすかたんと少し会った。夕飯時までロッテリアで時間を潰して筑波大生御用達の定食屋「夢屋」へ。なじゃ、ぬーん(@pkpk_hammer)を加えた4人でご飯を食べた。

一通り話をして解散、喜一旅館に帰る。荷物の整理をしているといきなりナガテ(@Inagates)が泊まりに来た。俺は歩いた疲れからすぐ眠りについた。

4/1 武蔵村山~立川

中学時代の掲示板での友人と会う日であった。立川駅でおぼろん(@ovoron)と合流して武蔵村山行きのバスに乗る。イオンモールがあるのだが駐車場がショッピングモールで見たことないほど広かった。N君(@nmaster_)と武蔵村山で合流。ラーメンを食べてカラオケに行った。何年も前から付き合いのあった人と会えたのは嬉しかった。

夜は立川駅に戻って急に約束を取り付けたねーも(@negatimo)とぴろっち(@p1rrotti)とすた丼へ行った。並盛が食べきれなかった。帰る。寝る。

4/2 浅草~横浜~喜一旅館

朝7時台に目が覚める。せっかく早起きしたのだから、と一人浅草に行った。

雷門は工事中だった。観光客の多さに嫌気が差しながらうろうろして人形焼を食べた。横浜で約束をしてたので早めに離脱して電車に乗る。

桜木町でやーたん(@yaka__)と合流した。ワールドポーターズでスパゲッティを食べた。赤レンガ倉庫、山下公園、横浜中華街、港の見える丘公園と歩いて横浜の名所という名所を案内してもらった。

港の見える丘公園で休憩しているとテレビ撮影らしき集団が来た。なんだろうとよく見ると上地雄輔がいた。トークで名前出るまでわからなかったが山口もえもいた。ヒルナンデスの収録らしい。偶然こうして有名人に出くわすのは初めてのことだったので面白かった。

横浜駅で解散して喜一旅館に帰る。またナガテがきた。喜一とナガテとくら寿司へ行った。喜一旅館にももかま(@momokama)がきた。4人で飲んだ。

4/3 埼玉~大阪

7時過ぎに起きてももかまと一緒に喜一旅館を出る。埼京線が人身事故で遅れていてひどいラッシュだった。赤羽駅でももかまと別れてそこから西へ西へ帰る。とくに書くことはない。

 

色々な人にお世話になった旅でした。皆様有難うございました。大変楽しい旅でした。